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連載の途中ですが、リクエスト企画のお話を……。青蘇です。カップリングではありません。そして安定の当家設定。お待たせしすぎて大変申し訳ありませんですorzリクエストありがとうございました!
あとがき・解説等はまた別記事にて。


Like a Bubble

「蘇芳って、何だかシャボン玉みたいよね」

 元気よく飛び跳ねる少女を眺めながら、相方がそんな風にぼやいた事がある。
 その言葉にこれといった意味は特に無くて、ただ自由奔放な友人の様子をその単語に例えただけなのだろう。つかみどころのない彼女の性格は、確かに、ふわふわと浮かぶシャボン玉に似ているのかもしれない。



***


 固く張られた弦の一つにニッパーを当て、パチン、という音と共にそれを切ると、目の前の人物が怯えた様に肩を跳ねさせた。
 気にせず隣の弦に刃先を当て、思い切り力を入れる。パチン……パチン。この楽器が音を出すのに最も重要だといえる部位が容赦なく傷つけられていくさまに、少女はまるで残酷なものでも見ているかのようにおろおろと落ち着かない。……弦を張り替えているだけなんだがな。
 全ての弦の切断が終わり、頼りなくぶら下がったそれをボディを気付つけない様に丁寧に外すと、俺はゆるく纏められた新しい弦を手に取って、慣れた手つきで張り替えていった。ブリッジに通し、適度な長さに調節して切る。その先をストリング・ポストに挿し込んでゆっくりと巻いてやれば、ぴんと張られた一本の線――コイツの「声帯」とでもいうべき部位が形を取り戻す。
 同じ様な要領で二本目、三本目と作業を進めていくと、その度に、ついさっきまで泣くんじゃないかってくらい表情を硬くしていた彼女の目が、好奇心にキラキラと輝きだした。そして最後――四本目の弦が巻き終わり、試しにその一本をヴゥン……と鳴らしてみると、少女――蘇芳は微かに目を丸くし、「ふぉぉ」と感嘆の声を上げた。
 せわしなく変化する表情に苦笑を漏らし、ベースをしっかりと構え直すと、再び弦をはじいてペグ(上の方についているネジみたいなやつだ)を調節する。そんな俺の様子に、蘇芳は不思議そうに首をかしげた。

「あれ、さっきので終わりじゃないの?」
「……ただ張り替えただけじゃ、音が不安定なんだ」

 普段どれだけ荒々しく演奏していようと、コイツは俺なんかよりもずっと繊細だ。正確な音程で「歌わせる」ためには、それ相応の世話をしてやらないといけない。
 俺の説明に蘇芳はふぅん、とだけ返し、そのまま目線を俺の指先へと集中させる。そんな真剣に見ても楽しいもんじゃないのだが……なんて考えがチラリと浮かんだが、まあ、本人がそうしたいのなら止める理由もない。
 まだきっちりと固くて馴染みの悪い金属線を人差し指の腹で撫でる。アンプを通さない生の音は空気を微かに震わせるだけで、どこか頼りなく思えた。
 音が完全に消える前に弦を鳴らし、不安定に揺らめかせながら「ここ」というポイントを探り出していく。
 『計器の示す数値はあくまで目安。チューニングは自分の耳で合わせるものよ』――というのは相方の言葉だが、それなりに長く楽器と付き合っていると、何処に合わせればいいのかは大体わかってくるのだ。
 開放弦でEの音が室内にこだまする。どこか耳障りだったその音色からふいに不快さが消え、確かめる様に二度、三度と弦をはじく。……よし、こんなもんだろう。
 ふう、と一息ついて、続けて三弦のチューニングに取り掛かろうとしたところで、ふと手元に注がれる視線が気になった。

「…………蘇芳」
「なぁに?」

 名を呼ばれて、蘇芳はついと顔を上げる。足を崩して床に座り込み、両手は脚の間に置いて気持ち前屈みに。ちょこんと首をかしげるその表情は純粋そのもので、彼女に邪魔をしているつもりが微塵もない事は明らかなのだが……どうにも調子が狂う。

「そんな風に凝視されると、気が散るのだが……黒に会いに来たんじゃないのか?」

 溜息と共に膝の上にベースを寝かせて問いかけると、蘇芳は彼女にしては珍しく、拗ねた様にぷくりと頬を膨らませた。

「黒ちゃんは闇ちゃんのお相手で忙しいんだって。それでね、リビングに行けば青ちゃんがいるから遊んでもらえって」
「はぁ……」

 そういえば、少し前に「闇」ことストレンジダークが黒を訪ねてきていたのだった。
 弱っていたあいつを助けて以来、黒はすっかりあいつに懐かれてしまったらしい。蘇芳ほど頻繁ではないが、俺たちの部屋にやってくるようになったあいつの話し相手になってやるのも、最近では珍しい光景ではなかった。
 自分の殻にこもっていたあいつが他の奴らと関わるようになったのは喜ばしい事だ。同期として、そして共に仕事を受けていた者として俺もそれなりに心配していたから、この傾向はなかなか良いんじゃないかと思う。
 だけど、蘇芳にとっては違ったらしい。
 これまで親友として、そして姉の様に慕っていた黒を突然別の奴にとられてしまい、ゴキゲンナナメなのだ。ダークの方もそれをわかっていてわざとタイミングを被せてくるのだから、性質が悪い。
 そして最終的にとばっちりを受けるのは、いつも俺なのだ。

「……悪いが、コイツの調整が終わるまで向こうに行っていてくれないか?」

 チューニングは演奏前にもしているが、楽器の為にも、出来れば狂ったままで放っておくことは避けたい。
 気を取り直し、再びベースを構えて今度はAの音を鳴らすと、蘇芳の視線が俺の手元に落ちる。一挙一動全て見逃すまいとでも言いたげな態度に俺は心の中で溜息を吐いた。……だから、そんな風にじっと見られたら、集中できないと言っているのだが。
 ヴォォ……ン――。グリグリとペグを動かすたび、ヘッドの動きに合わせて蘇芳の顔が上下する。さっきから何が面白いのか全く理解できないのだが、蘇芳は俺の手元に目線を貼り付かせたままで、どこか別の場所へ行く気配は全く感じられない。

「――……」

 ふと悪戯心が沸いて、スタンドに楽器を預けようとすると、蘇芳の背がピンと伸びた。横目でそれを捕え、スタンドにベースを置く直前で再び脚の間に乗せる。すると、今度はわかりやすい位にしょんぼりと肩が落ちる。

……まるで「お預け」を喰らっている子犬の様だな。

 目の前に置かれているのは大好物のご飯か、それともお気に入りのおもちゃか。何にせよ、「ご主人様」の用事が終わるのを待つ従順な姿に集中力は完全に途切れてしまい、ピンとはじいた弦からは何とも締りの悪い音が零れた。

「………………何をすればいいんだ?」

 諦めと共に愛用の楽器をスタンドに預けると、蘇芳は今にもしっぽ(という名の、彼女の右頭で揺れる髪の毛)を振り回さんばかりの勢いで、がたりと膝立ちになった。

「あのね、時雨さんが『皆で遊ぶといいよ』って持ってきてくれたの! てっちゃんは今日一日収録のお仕事だし、一人でお留守番しているよりは、青ちゃんたちの所に持っていきなって」

 うきうきとした様子で立ち上がると、蘇芳はテーブルの上に置いてあったワインレッドの風呂敷を持って戻ってきた。大方彼女や彼女の相方の作った菓子でも入っているのだろうと思っていたが、今回は違うらしい。
 結び目が解かれ、広げられた一枚の布に詰め込まれていたのは、手のひらに収まるほどの小さなボトル、独特の形をしたストロー、そしてプラスチックで出来たラッパ型の玩具――……。
 問いかける様に視線を上げると、蘇芳は先日彼女の家の庭で見かけた黄色の花のような満面の笑みを浮かべて、ベランダを指さした。

「シャボン玉、しよ!」



***


 サァッと吹いた強い風が、目の前に浮かぶ球体を一纏めにさらって行った。
 真っ青な空に浮かぶ透明なシャボン玉は、海を漂う気泡にどこか似ている。となると、これを吐き出している彼女は深海に住む魚といった所だろうか。
 ふと過ったそんな考えに、我ながら随分と想像力が豊かになったものだと感心する。これも彼女と彼女の相方の影響だろう。二人と出会った頃は、俺も黒も、必要最低限の事にしか興味を示さなかったのだから。

「ふぉぉ……青ちゃん見た!? たくさん飛んだよ!!」

 はしゃいだ声に振り向けば、蘇芳は目をキラキラと輝かせながら自分が飛ばしたシャボン玉の行方を追っていた。彼女の家の庭と違ってここは狭いから、遊ぶにしても窮屈だろうと心配していたのだが、思いの外楽しんでいるらしい。
 とはいえ、直感的に行動する彼女の事だ。いつベランダを飛び越え、意気揚々とシャボン玉を捕まえようとするかわからない。いつの間にやら押し付けられていた彼女の「世話係」としては、無邪気に笑う彼女の姿を眺めながらも、どうにも気分が落ち着かなかった。
 当の本人はと言えば、俺のそんな悩みに気付いた様子は全くなく、すう、と大きく息を吸い込んで、そのすべてを惜しげもなくストローに吹き込んでいた。
 勢いよく吐き出されるシャボンの群れ。互いに競い合うように空を駆け上る小さな球体は、風に流されてあっという間に見えなくなる。

「ほら、青ちゃんもシャボン玉やろうよ! まだこんなにいっぱいあるんだよ!!」
「ん? あ、ああ……」

 そういえば、自分の分はキャップを開けたきりで殆ど手を付けていない。蘇芳のはしゃぐ様子を眺めているだけでも十分面白みがあったのだが、それでは彼女もつまらないだろう。
 ゆるく握られたピンク色のボトルを見下ろし、そのまま視線を部屋の中へと移す。大窓の前に広げられた風呂敷の上には未開封のボトルとその他様々な道具が転がっていて、その有様に、この大量の「シャボン玉セット」を彼女に渡した人物の姿を思い浮かべずにはいられなかった。

 溺愛、といってもおかしくない程に蘇芳と藍鉄を可愛がっているあの青年が、二人の為にやたらと「お土産」を持ってくることはある程度聞いている。食べ物だったり玩具だったりとその時によって中身は違うらしいが、鏡音以外の近しいモジュールがいない俺たちには、甘やかしすぎともいえる彼の行動が新鮮に映った。

……ああ。そういえば、彼と初めて会った時も、随分と驚かされたものだった。

 『お菓子を作ったから食べに来て欲しい』とメールで誘われ、黒と一緒に二人の家へ飛ぶと、そこには見慣れない先客がいた。
 暗い色の髪に、首元にはマフラー。片手に下げた風呂敷には―――…おそらく、二人の作った菓子が入っているのだろう。俺たちの姿に気付いた藍鉄から、彼がKAITOモジュールの一人――『時雨』という名であることを聞いた。
 能天気そうな雰囲気を纏うその人は、風呂敷を鉄に預けて俺たちに前に立つと、「君たちが青君と黒さんだね。二人から話はよく聞いているよ。いつも俺の弟分たちと仲良くしてくれてありがとう」と言って笑った。それだけなら、これまで交わしたものと何ら変わらない、普通の挨拶だ。
 だが、彼の挨拶はそこで終わりではなかった。
 そろりと持ち上がった手に、握手を求められるのかと自分の片手を上げかけたが、彼の手のひらは俺たちの目線を通り過ぎて頭上へと達する。そしてそのまま突然、くしゃりと撫でられる感触――――。
 ……自惚れのつもりはないが、俺たちは普段「イケリン」「イケレン」などと評されていて、カッコいいと持て囃されることはあっても、こんな風に他者から可愛がられるようなことは一度もなかった。頭の上に乗せられた、互いのモノよりもずっと大きな手のひら。慣れない感覚にどんな反応を返せばいいのか全く分からなくて、俺たち二人は言葉も発せずに、ただピタリとその場で固まっていた。
 結局その日は、気を利かせた鉄が間に入ってくれたおかげで妙な緊張からは解放され、その後も滞りなく挨拶を済ませることが出来たのだが、彼のスキンシップはその一度きりに留まらなかった。
 顔を合わせれば、激励の言葉と共に頭をぽんと叩かれる。……そして時々、「お土産」を与えられる。
 彼から向けられる感情は、俺たちがその他多数の者から求められているそれとは全く別で、くすぐったいような、落ち着かないような気持になる。そのせいか、黒は今でも彼のことが苦手らしい。本人は否定しているが、蘇芳たちの様に子ども扱いをされるのが恥ずかしいのだろう。
 俺たちに対してこんな態度をとるのは、後にも先にも彼――時雨さんのみだ。


 胸に広がるむず痒さを追い出すように、液を滴らせるストローにゆっくりと息を吹き込めば、透明な膜がぷくりと膨れ上がった。
 ゆらゆら、ゆらゆら。光を浴びてピンク、イエロー、グリーン、ブルーと様々な色を映し出すそれは、ある一定の大きさに達するとふわりと先端から離れ、風に乗ってぷかぷかと上昇していく。一体どこまで昇っていけるのか。暫くその行方を追っていたが、シャボン玉は雲に到達することもなくパチンと割れる。……やはり大きい方が割れるまでの時間が短いか。
 特に残念に思うこともなくボトルの中にストローの先端を挿し入れ、ほんの少しだけ粘度のある液体に浸す。ぷくり。水平に固定したストローに静かに息を送り込み、ゆっくり、ゆっくりとシャボン玉を膨らます。
 すると、さっきまで大量のシャボン玉を吐き出していた蘇芳がぴたりと動きを止めた。今日一日ですっかり慣れてしまったペタペタと貼り付くような視線に顔を向ければ、ストローの先端を見つめるどこか真剣そうな瞳。先ほどよりも一回り大きなシャボン玉がふわりと浮かび上がった。

「何で青ちゃんはそんな大きいシャボン玉を作れるの? ストローは同じはずなのに……」
「……蘇芳は吹く時に力を入れすぎなんだ。もっとゆっくり、優しく息を入れてやれば勝手に大きくなる」
「むぅ。ゆっくり、やさしく……」

 どうやら彼女の興味は、「より沢山のシャボン玉を飛ばす事」から「より大きなシャボン玉を飛ばす事」へとシフトしたらしい。
 俺のアドバイスをオウム返しに呟くと、蘇芳はすぅ、と息を吸って、今度は気の遠くなるような長さでストローに息を込めていく。ぷくり、ぷくり。シャボン玉は風船のように膨らんでいき、ついに彼女の顔の三分の二を覆う大きさまでに達した。
 そろそろストローから離してやらないと割れるぞ、と声をかけようとしたが……時すでに遅し。重力によって己の形を保てなくなったシャボン玉は、瞬く間にぱちんと弾けて消えてしまった。

「ふぉぉっ!?」

 割れた時にシャボン液が目に入りでもしたのか、蘇芳は間抜けな声を漏らしてゴシゴシと目をこする。ちゃんと水で洗い流した方がいいんじゃないだろうか。暫くシバシバさせいる内に痛みはとれた様だが、アメジストの様な彼女の目は、普段より少しだけ赤みがかって見えた。

「そんなに大きいのが作りたいんだったら、こっちを使ったらどうだ?」

 エアコンの室外機の上に置かれた持ち手つきの輪っかを差し出す。一見すると紙の張られていない金魚すくいの道具みたいだが、専用の皿に溜めた液に浸して腕を振れば、簡単に大きなシャボン玉が作れるといった代物だ。
 ストローは力の入れ加減が難しい(……いや、俺としてはそこまで複雑なものとは思えないのだが、見た感じ蘇芳はこういった細かい調整が苦手そうだ)から、彼女にはこちらの道具の方が相応しいと思って勧めてやったのだが――――

「それじゃあつまらないよ! 何でもかんでも道具に頼って楽しちゃダメなんだからね!!」
「は、はあ……」

 説得力があるのかないのかわからない自論を拳混じりに力説し、蘇芳は再びストローとの格闘を開始してしまった。……まあ、本人がそうしたいのなら別に構わないか。
 真剣な表情でシャボン玉を膨らませている彼女を横目に、俺はボトルとストローを室外機の上に置くと、風呂敷に広げられた道具の中から銃の様な形をしたものを取り出した。専用のボトルを装着して引き金を引けば、大量のシャボン玉が飛び出す仕組みらしい。
 ガサゴソとガラクタを漁ってそれらしいものを探し当てると、キャップを外して「銃」に取り付ける。すると。

「青ちゃんっ! ほら、出来たよおっきいシャボン玉!!」

 こちらを振り向く彼女の前方に、ぷかりと浮かんだ透明な膜。グレープフルーツほどの大きさの球体は風に吹かれてゆらゆらと形を変え、ゆっくり、ゆっくりと上昇していく。

「――ああ……よかったな」
「ね、頑張ったでしょ?」

 得意げに笑うと、蘇芳の視線は遠ざかっていくシャボン玉を追う。ゆらゆら、ゆらゆら。空気による抵抗が収まってきたのか、徐々に形が整っていく。ゆらゆら、ゆらゆら。ゆらゆら、ゆらゆら……
 風がサアッと吹いて、俺たちとシャボンの距離をぐんと引き離した。


――――蘇芳って、何だかシャボン玉みたいよね。放っておいたらどこかにふらっと飛んで行っちゃいそう。

 いつかの相方の言葉が脳裏にちらつく。
 空に向かって腕を広げる後ろ姿は、風に乗って今にも浮かび上がりそうで――――

「――、蘇芳」
「んー、なぁ――……ぶぉぉぉっ!?」

 無意識に口を衝いた彼女の名。振り向いた蘇芳は、いつもと変わらない無邪気な表情で。
 キリリ、と胸の奥を締め付ける感情の名も知らぬまま―――…俺は、彼女の顔目がけてシャボン銃を発射していた。

「ななななな、何するの青ちゃん! ひどいよ!?」
「あ、いや…………すまん」

 肩を震わせながら抗議をする蘇芳の顔から視線をそっと外し、もごもごと言葉を濁す。こんな事をするつもりはなかった。気が付いたら彼女の背に向け手を伸ばしていて、そしてその手にたまたま、こんなものが握られていただけで…………。
 手の中の物体と泡だらけになった蘇芳の顔を、戸惑いながら交互に見合わせる。何か言わねばと開いた口から漏れたのは結局自分の吐いた息だけで、その中途半端な体制のまま、とりあえず顔に付いた泡を取るのを手伝おうかと足を踏み出しかけた、その時。

「……サイッテー」
「…………ほんとサイテーだね」

 いつもよりワントーン低い相方の声に、自分のものよりも高く幼さの残る声が続く。
 覚悟を決めてそろそろと首を回すと、リビングの真ん中には、俺と揃いのモノトーンの衣装を身に纏った少女と、明るい髪色とは対照的に伏し目でどこか俯きがちな少年の姿があった。……ああ、なんて悪いタイミングなんだ。
 呆れと軽蔑の混ざった視線は、声色に負けないくらい冷たい。言い訳もなにも通用しそうにないこの空気に、喉元まで這い上がってきた言葉は完全に凍り付いた。
 



***


 待ち焦がれていた親友の登場によって早くも用済みとなった俺は、大人しくリビングへと退散し、楽しそうに戯れる二人の少女を眺めていた。
 大小様々なシャボン玉が、二人の周りをふわふわと漂う。蘇芳は得意げにどうやったら大きく膨らむのかをレクチャーしてみせるが、それを真似て黒が飛ばしたのは彼女のものより一回り大きなシャボン玉で、信じられないようながっかりしたような顔で、ふわふわと浮かぶ球体を眺めていた。

「お前は一緒にやらないのか?」

 ソファーの方を振り向きながら、その上に座る人物に声をかける。自分の領域から持ってきたのであろう本を黙々と読んでいる少年――ストレンジダークは、俺の問いかけに顔を上げることもなく、ぺらりとページをめくる。

「……いやだよ、疲れそうだし。ブルームーンこそ、そんなところで指をくわえて見ていないで、二人とまざってくれば?」
「……あんなところに入り込めるわけがないだろう」

 仲の良い二人だから、とか女同士だから、とか理由はいくつか思いつくが、あの中に自分がしれっと混ざり込んでいる光景なんてどうやっても浮かんでこない。それどころか、近寄っただけで「邪魔をするな」と一蹴されるんじゃないだろうか。
 ため息交じりに答えると、ダークからは特に興味も無さげにそう、とだけ返ってくる。そしてそれ以上は口を開かず、黙々と文字を追いかける作業へと没頭してしまった。俺も騒ぐのはあまり得意じゃないから、とやかく言えた義理じゃないのだが……彼のこういった冷めた態度は時々扱いにくい。
 疲れとも諦めともつかない息を吐き出すと、所在なさげに部屋の中を見渡す。ぐるりと一周したところでスタンドに立てかけたままのベースが目に留まったけれど、今はあいつに触れる気分じゃない。
 すっかり手持無沙汰になってしまい、どうしたものかと立てていた片足を崩すと、ベランダから吹き込んできた風が少しだけ癖のある前髪を巻き上げた。蘇芳や藍鉄の住んでいる場所と違い、ここは気候や天気の変化なんて無いに等しいけど、頬や髪を撫でる風はさらさらと心地よく、二人の庭で見かけた鮮やかな緑を思い起こさせた。
 誘われるように目を閉じて、流れ込んでくる風に身を委ねる。シャットアウトした視界の奥で、笑い声と、紙の擦れる音が静かに混ざり合った。

―――…ふわり。

 ふいに鼻先を何かが掠めた様な気がして、反射的に目を開くと、ベランダから侵入してきたのだろう、いくつかの小さなシャボン玉が、部屋の中をふよふよと漂っていた。
 蘇芳と黒の手には、いつの間にか俺が先ほど使ったようなプラスチック製の玩具が握られている。空に向けて吐き出される無数の泡は、風が攫い残した分だけ、二人の立つ小さな空間を覆い尽くす様にたまっていく。

「……ねぇ。何でさっきあんなことをしたの?」

 問いかけられた声に視線を向けると、ダークは本から微かに顔を上げて、俺の方をじっと見ていた。
 ライトグリーンの瞳はどこまでも澄み切っていて――――けれど、その奥に揺らめく意図を読み取ることは出来ない。

「……寧ろ俺が訊きたい」
「それは答えになっていないよ」

 逃れるように言葉を濁すと、淡々とした声に咎められる。確かにその通りなので反論は出来ないが……あれは本当に無意識だったんだ。どうして、と訊かれても正直困る。
 耳の後ろの辺りに貼り付くような視線は俺が言葉を探している間もずっと離れる気配がなく、なんとか形になった答えは――――。

「……シャボン玉の様だと、そう思ったんだ」

 ふわりと、舞い上がるように。つかみどころのない蘇芳の背中は、空を漂うシャボン玉にあまりにも似ていて。

「ふぅん……それで、風に吹かれて飛んでいっちゃいそうだったから、慌てて引き留めた、と」
「そう……かもしれないな」

 黒がいて、鉄がいて、そして蘇芳がいて。今では当たり前のように一緒に居る彼らが、突然、砂のように崩れ落ちて目の前から消えてしまう――――そんな夢を、時々見る。
 死ぬことのない俺たちは、ユーザーに忘れ去られてもなお、この電子の世界で生き続ける。果てしないと思えるその時間の中で、彼らと変わらず一緒に居られるのだろうか。そう考えると、急に足元が不安定になるような感覚に陥って、胸が軋んだ。
 あの時。空に手を広げた蘇芳の後ろ姿は、いつかの夢に似ていたから…………だから、手を伸ばした。大切な友を、失ってしまわない様に――――。

「…………ブルームーンって面白い事を考えるよね」

 これまで無言で俺を眺めていたダークは、呆れたようにそう零すと、手に持っていた本をパタンと閉じる。

「そもそも、40キロ前後の物体を動かすにはF=㎎で約10倍の大きさの力が必要になるんだよ? それを風の力だけで行うとなると、その力は風速の二乗の二分の一に比例する。つまり、一秒あたり28メートルの突風でも吹かない限り、スオウが飛んでいくなんてありえない」
「は……はあ……」

 すらすらと流れ出てきた呪文のような言葉にどう反応を返せばいいのかわからず呆けていると、ダークは二、三回瞬きをして、「風圧のお話だよ」と肩を竦める。そしてそのまま、よくわからない記号や数字で埋め尽くされた本を、テーブルの上へと放り投げた。

「――まあ、何をもってそんな風に不安になっているのかは知らないけれど、彼女はきみが思っているほどヤワじゃないよ。それにぼくからしてみれば、彼女は『シャボン玉』よりも『子犬』の方がだんぜんお似合いだと思うけど」

 ボケっとしたままの俺に見かねたのか、気の遠くなるような例の説明を一言でまとめると、ダークは意味ありげな視線をこちらに向け、肘掛の上で組んだ腕に顔を乗せる。―――…と同時に、首元に何かが巻き付いた。
 背中にかかる体重と暖かさに振り向くと、すぐそばにあった蘇芳の顔を視線が交わる。アメジストの瞳が細められるのを、俺はただ茫然と見上げて――――

「あーおちゃんっ、青ちゃんも一緒に遊ぼうよ! 闇ちゃんも!!」

 ニコニコと笑いながら顔を覗き込む彼女から、シャボン玉のような儚さは消えていた。残ったのは、誰に対しても人懐っこい――子犬のような、無邪気な姿。
 傍観を決め込むつもりだったらしいダークは、いきなり巻き込まれたのが不服なのか、微かに顔を顰める。

「……えー、めんどうくさいんだけど」
「もうっ、ダメだよそんなワガママ言っちゃ。せっかくみんなで集まったんだから、みんなで遊ばなきゃ!」
「その理屈筋道通ってないよ」
「なんでもいーの! ね、一緒にシャボン玉やろっ」

 絡みついていた腕がするりとほどけ、尻尾の様な髪を揺らしながら、白い背中が遠ざかっていく。相変わらずソファーの上で渋るダークを説き伏せようとする姿を目で追っていると、ふと首のあたりに視線を感じて後ろを振り向いた。
 ベランダのガラス戸に背を預けて腕を組む相方――ブラックスターは、俺と視線が合うと、困ったような、呆れた様な顔をで笑う。俺が何に悩んで何を不安に思っているかなんてのは全部お見通しなのだろう。彼女もきっと、俺と同じ闇を抱えている。
 床に手をついて立ち上がると、しつこい説得に観念したのか、蘇芳に手を惹かれたダークが横を通り過ぎていった。――ほらね。すれ違い際に、そんな言葉を紡ぎ出しながら……。

「――――青ちゃんも早くおいでよ!」

 到着したベランダからくるりと振り向いて、大袈裟なまでにぶんぶんと腕を振る蘇芳の姿に、思わず笑みが零れた。……そうだ。彼女はきっと「子犬」なんだ。無邪気に走り回って、目を離すとどこかに行っていて――――けれど、ちゃんと「ここ」に戻ってくる。
 抱えているものがすべて消えたわけではないけれど、三人の元へと踏み出した足は、少しだけ軽くなったような気がした。


◇◆◇
天真爛漫で無邪気な蘇芳ちゃんが可愛くて仕方がない。
ダーク君に関するあれこれは、また別のお話にて……。
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すおちゃん可愛いよすおちゃん!なあとがき

硝子瓶の中の泡沫 3

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