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電車で出会った鏡音さんたちの、その後のお話。シリーズ最終話です。
クリスマスには間に合いませんでしたが、年内に書き切れてよかった。ここまでお付き合いいただいたみなさま、本当にありがとうございました~!




6号車へと飛び乗って


 どんよりと曇った空とは対照的に、街を満たす空気は活気に溢れている。
 キラキラと輝く虹色の電飾、そこかしこで流れている陽気なメロディ。入れ替わりで乗って来た子供たちの手には、華やかにラッピングされたプレゼントの箱が大事そうに抱えられていた。
 駅前でビラ配りをしているサンタクロースも、大通り沿いに並ぶ沢山のツリーも、いつもより気合が入っている様に感じる。どうせ今日明日の「本番」が終わればコロッと正月ムードに移り変わるんだろ? なんて考えると、日本人はとことんゲンキンな民族だなぁと思わざるを得ないのだが、こうやってイベントに乗じて盛り上がろうとする雰囲気自体は嫌いじゃない。かくいう俺も、その雰囲気の恩恵にあやかろうとしている人間の一人なのだし。
 行き交う人々の浮かれた様子に、つられてこっちもワクワクしてくる。

 今日は12月24日、クリスマス・イブだ。


***


 世間では「恋人と過ごす日」なんて認識が定着しているだけあって、この電車の中にもカップルとおぼしき男女の姿が多く見られた。
 肩を寄せ合って、あるいは手を握り合って。耳元でひそひそと囁いているのは、砂糖を吐く様な愛の言葉……だろうか。人目を憚らない仕草に気を悪くしたのか、近くにいたオッサンがわざとらしく咳ばらいをしたけれど、当の本人たちはどこか違う世界に旅立っているらしく自重する様子は全く見られない。恋は盲目、とはよくいったもんだ。
 何処を見渡しても幸せオーラ一杯の空間。去年までの俺なら、鬱陶しさ(やっかみ三割増し)に眉をひそめるくらいの事は平気でやっていたのだろう。
 けど、今年は状況が違う。
 ドア付近に立つ俺の傍らには、蜜色の短い髪が可愛らしい少女――鏡音さんの姿があった。
 クリーム色のコートは新品らしく、すべやかな毛並みが彼女の呼吸に合わせてふるると揺れる。ほっそりとした足を包むのは茶色のタイツで、よく見るとチェックの柄までついている。
 カバンはいつものノートや教材がたくさん入る大きいものではなく、お出かけ用のショルダーだ。肩ヒモの所に女の子がよく頭につけてる布製の輪っか(シュークリームみたいな名前だった気がするけど、何だっけ?)が飾られていて、クールな印象の強い彼女にしては可愛らしい趣味。そんな所も非常に素敵です。
 彼女の私服姿はこれまでも何度か見たことがあったけど、今日は何時にも増して可愛い。彼女との関係が「オトモダチ」から「コイビト」へ変わった事に付随する贔屓目だけでなく、実際かなり可愛い。
 かくして、二週間前の奇跡を経て晴れて勝ち組の一員となった俺は、ぼっち共の羨望の眼差しを背に受け、優越感に浸りながら目的地を目指していた。
 ―――…そのはず、だったのだけど。
 外を眺める鏡音さ――リン、の表情は、いつもと変わらず冷静そのものだ。一応初デートって事になるのだけど……あれ、楽しみにしてたのって、もしかして俺だけ?
 彼女と合流してから少なくとも20分は経っているけど、今の所会話らしい会話はほとんど出来ていない。「待たせてごめん」、「よし、行こうか」、「あ、あの電車だ」――――俺が彼女に対して発した言葉はせいぜいこの位で、彼女から返ってくるもの短い相槌がいいところ。苦し紛れに絞り出した天気の話題もあっという間に尽きてしまって、あとはただ、気まずい沈黙が流れるのみだ。
 そりゃ、付き合い始めたばかりだし、いきなり親密度が上がるとは俺だって期待していなかったさ! でもせっかく二人きりで遠出するのだから、もう少しくらい甘い雰囲気になってもいいと思わないか!?
 会話が途切れてからはリンも窓の外に視線を向けてしまったし、長く話せそうなネタも思い浮かばない。水族館の最寄り駅までは40分、乗り換えの駅まででも最低あと30分は電車に乗っていなければならないのだ。俺はこのピンチを、どうやって切り抜けりゃいいんだ……?

「……あの、さ……」
「……なに?」
「それ、可愛いね。カバンについてる……」
「ああ、コレ……ミクとお揃いなの。色違い」
「へぇ……そう、なんだ……」

 会話終了。
 ゼンマイ式のロボットみたいにぎこちなく笑うと、リンはぱちりと瞬きをして、全ての興味を失くしたかのように再び窓の方に視線を移してしまった。……で、結局何て名前なんだ?
 怒っているわけではない。これが彼女のデフォルトの姿。それは分かっている。この人を寄せ付けないパリッとした性格に惚れたのは紛れもない俺なんだし、彼女のそんな態度に不満があるわけでもない。それも、わかっている。
 けれど、今までと関係が変わったからこそ、不安に感じることもあるわけで……。

「かっ――――、リ……」
「なに」
「い……いや、何でも…………」
「……そう」

 無意識に名前を呼んでしまうくらい俺は緊張しているのだろうか。
 手を伸ばせば簡単に触れてしまえそうなのに、彼女との距離は、いつもより遠い。


***


 それなりに余裕のあった車内は、一駅、また一駅と中心地に近付くにつれて、少しずつ窮屈になっていく。
 窓は籠った熱気ですっかり白く霞んで、外の景色なんかちっとも映しちゃいない。にもかかわらず、リンは先ほどと変わらず視線をそちらに向けたままで、そしてやっぱり、雑談をする様な雰囲気じゃなかった。
 早くも挫けかけている俺に出来る事と言ったら、意味もなく携帯を弄るくらいで。時間を確認するついでにメールの受信ボックスを開いてみる。クオ辺りから冷やかしの一言でも入ってりゃ、いい話のネタになると期待したのだけど……まぁ、案の定なんも無しだ。
 悪あがきと分かっていながら新着問い合わせボタンを押してみるけど、やっぱりセンターの方で足止め喰らっている事もないらしい。……ちっくしょー、いつもは自重せずに邪魔してくるくせに、何でこういう時だけそっとしておくんだよ。空気読めよ!
 はぁ、と落胆の溜息を零しつつ慣れた手つきでカーソルキーを叩き、お次に呼び出したのは送信ボックスだ。上から三通目にある、宛先が空欄になったままの未送信メールを開く。


―――――――――――

図書館駅待ち合わせ 9時半
電車9:42
水族館 11時ちょい前くらい
南館 巨大水槽のサメが名物
お昼
東館 イルカのショー1時半から
ツリー見る
どっかのカフェでクリスマスケーキ?
イルミネーション見たい
プレゼント渡す






















目標、手を繋ぐ


――――――――――――


 緊張して送り損ねた秘密の下書きメール……なんてもんじゃなく、単に行きたい場所とか時間をメモ代わりに打ち込んでおいたものだ。デートプラン(仮)ともいう。
 本当はここに「告白をする」という最大かつ最重要ミッションも含まれるはずだったのだけど、それは黒歴史と引き換えにうっかりクリアしてしまったから、今回は考えなくてもよし。その代わり新たな目標を掲げておいたから、せめてプレゼントを渡すまでには実行したいものなのだけど……問題は、きっかけをどう作るかであって。
 一ミリほどの隙も見せない彼女の手を、不自然に思われない流れで握る事なんて出来るのだろうか? いや、別に直接申し出たっておかしくない間柄ではある(はずだ)けど、その辺は俺のプライドが許さないから回避したいところ。あー、どっかでこの微妙な状況をガラッと変えるくらいのアクシデントでも起こってくんないかなぁ……。
 困った時だけ頼りにしたって神様は都合よく応えてはくれないらしく、もやもやとした気持ちを引きずったまま、電車は緩やかに速度を落として次なる停車駅へと滑り込んだ。
 軽い電子音と共に向かい側のドアが開き、冬の冷たい空気が流れ込んでくる。籠っていた熱気と共に吐き出される黒い波をなんとかやり過ごした俺は――その向こう側に見えた人の列に、思わずカエルが踏みつぶされたみたいな声をあげてしまった。
 この路線の終点を目前にした、二番目に大きな駅。当然、人の出入りもこれまで以上に多くなる。
 ぞろぞろと押し寄せてくる大量の人に車内の人口密度は一気に上昇、俺たちの周りにはあっという間に壁が形成された。身動きが取れない程ではないけれど、ぐいぐいと追いやられたせいで、ある程度余裕を持っていたリンとの距離も、今では広げた手の平二つ分ほどしかない。
 最後の一人を飲み込んで、空気の抜けるような音と共にドアが閉まる。
 再び動き出した電車の中は、さっきと比べると随分と静かだ。赤の他人に囲まれた状況で呑気に会話を続ける者は流石に少数派らしく、時折ひそひそ話が漏れ聞こえる以外、車内にはエアコンが暖気を吐き出す唸り声と車輪が奏でる規則的な音が響くだけ。
 緊張感と閉塞感。どっちもあまり歓迎したくない感覚だ。近すぎる距離は互いへの不信感を生むらしく、誰もがこの密閉空間から一刻も早く解放されるのを、ただひたすら耐えて待っている様だった。
 と、その時――――。
 見えない力に引っ張られるように、身体が大きく傾いた。
 電車がカーブに差し掛かったのだという事に気が付いたのは、その二秒後くらい。遠心力によって詰め込まれた人という人が一斉にバランスを崩し……後は、ドミノ倒しの要領だ。
 雪崩の様にのしかかって来る体重を支えきる事なんて到底出来ず、俺はそのままドアと座席の仕切りの角に押し付けられた。肺の辺りに圧力がかかってうまく息が出来ない。ついでに頭までぶつけて、衝撃に視界がフラッシュアウトする。――最悪だ。

「………………ってぇぇぇ」
「…………大丈夫?」

 後頭部にズキズキと響く鈍い痛みと息苦しさに顔をしかめていると、耳元で気遣わしげな声が躍った。思いがけない近さにゆっくりと目を開けると、まず視界に飛び込んで来たのは蜜色の髪と海を閉じ込めた様な青い瞳。それから、左肩に添えられた手の感触がじわじわと熱を帯びて来て―――…

「―――っ!?」

 込み上げてきた悲鳴を慌てて呑み込んだ事を、まず褒めていただきたい。
 リンに抱き付かれている。……いや、正確には他の乗客に押しつぶされているだけなのだけど、何かのドラマで見かけた「抱き合う恋人同士」みたいな体制に、心拍数は一気に跳ね上がった。
 ドクドクと暴走する血液。じわりと滲んてくる汗。上昇する体温は、周りの奴らの熱気やエアコンだけが原因じゃない。
 身を離そうとしたのか、リンは暫くの間もぞもぞと動いていたけれど、やがて小さく肩を落として諦めたような目で俺を見上げてきた。

「……ごめん、動けそうにない。暫くこのままで我慢してくれる?」
「へ? ……あぁ、うん、ダイジョウブデス」

 暫く。しばらくって、どのくらいだ?
 終点までは確かあと二駅。到着予定時刻からさっき見た時間を逆算すると―――…あと15分くらいか。てことは、その間ずっとこの体制でいなきゃならないって事ですかなにそれ美味し……じゃなくて!
 そんなにも長い時間密着したままだなんてヤバい、色々とヤバい。今だって無駄に暴走しているこの心臓に気付かれやしないかとハラハラしているし、暖房の効いた車内でおしくらまんじゅうなんかしてるもんだから、暑くて頭がぼーっとする。腕にすっぽり収まっている身体はふっくらと軟らかくて、いいにおいで、ほんのり染まった赤いほっぺもショートケーキのイチゴみたいで……。
 頭の中を占めそうになった良からぬ考えを追い出そうと大きく息を吸う。けれど、結局はこれも失策だったらしく、顔のすぐ傍にあった彼女の髪から漂うシトラス系のシャンプーの香りが、心の奥で踏ん張っている大事な何かをぐらぐらと揺らした。
 首筋にかかる微かな吐息に思考が霞む。……あ、まずい、これ以上は――――

「めっ……迷惑じゃなかった? 急に誘ったりなんかしてさ」

 よろしくない方向へ転がり落ちそうになった思考を留めるために放った言葉は、別の意味で悪い方向へと俺を突き落とした。
 吐き出した瞬間は「あ、やばいな」と思ったけど、時すでに遅し。ぼうっとするような熱気の中、俺たちの間を流れる空気は確実に凍り付いた。
 ぱちりと一度だけ瞬きをしたリンは、そのまま訝しげに目を細める。

「迷惑って……何で?」
「あ、いや、だって……あの時は、俺が変なこと言ったせいで断りにくい雰囲気になってたと思うし、なんか、無理して付いてきてもらってたりしないかなって……。つまんなかったり帰りたかったりしたら、別に我慢しないで帰ったっていいよ。せっかくのイブにそんな思いさせんのも悪いし……」

 ――ああ、何言ってんだよ、俺。
 喉が渇いていた。心も、からだも、カラカラに干からびていくようで……。
 言ってしまえば、碌に会話も続かないもどかしい状況に参っていたのだ。
 うまく話を繋げられないのは俺が悪いからで、それを彼女のせいにするのは間違っている。けれど、いつもと変わらない表情も、そっけない態度も、全部、乗り気じゃないのが原因だとしたら?
 そんな風に考えてしまうと、自分だけが舞い上がって、からまわりをしているみたいで、すごく……情けなかった。こんなのはただの八つ当たりだ。
 それ以上は言葉が続けられなくて、視線を逸らすように俯く。不穏な様子に近くにいる数人が好奇の目を向けてくるけれど、そんなものを気にしている余裕なんてどこにもなかった。
 リンはその透き通るような青い瞳で俺をじっと見上げると、呆れた様に静かに息を吐いて、やがてゆっくりと口を開いた。

「……それ、本気で言ってるんだったら怒るわよ」

 落ち着いたその声は、普段と比べて一回りも二回りも低い。彼女の顔を見ずとも、機嫌を悪くさせてしまったことは確実で。

「だいたい、『予定もないし一緒に行ってもいい』って答えたのは私なのに、どうしてそこで『迷惑』に繋がるの? 無理も我慢もしていないのに、勝手に被害妄想するのはやめて」
「で、でも」

 いい加減にしろ。ぎろりと睨む彼女の瞳が、そう言ったような気がした。反論も出来ず、俺は口を噤む。
 空調の唸り声とレールの軋む音。そして誰かの息遣いが混ざり合う車内に、やがてぽつりと言葉が零された。

「……ごめん。私、こういうの慣れていないし、どういう反応すればいいのかわからなくて。けど、誘ってもらったのは嫌じゃな……、嬉しかったし、水族館も随分と行っていないから、楽しみ、にしてた」

 普段からハッキリとものを言う彼女らしくないたどたどしい答え。視線は合わせてもらえてないけれど、でも、ゆっくり、慎重に言葉を選ぶ様子は、いつもの彼女と変わらず真面目そのもので。

「態度が冷たいのはミクにもよく『直せ』って言われてる。気を悪くさせていたならごめん……その、努力する、から」
「あ……や、」

 目に見えてしゅんとしてしまったリンの姿に、居ても立ってもいられなくなった。

「ちが……、リンは悪くない!」

 無意識に大きくなってしまった声にリンがびくりと肩を震わせる。同時に向けられたいくつかの視線に一瞬だけ怯むと、さっきよりは抑えた声で、降り積もる不安の内側で大切にしていたキモチをリンに向けた。ちゃんと、伝わるように。

「勝手に落ち込んでふて腐れていたのは、リンだけが原因じゃない。ほら、俺って単純だからさ、わかりやすい態度取ってもらえないと気付けないっていうか……深読みできないっていうのかな。だから、リンも悩んでたんだってことに全然気づいてあげらんなかったし、その辺は俺が悪かった。こっちこそゴメン。――――ていうかさ、リンは『冷たい』っていうけど、シャンとして筋が通ってそうなその態度、俺はすごくカッコいいと思ってるし、寧ろリンのそんな所が好――――むぐっ」

 誠実な気持ちで打ち明けていた想いは、他でもない、彼女の手によって遮られてしまった。
 予想外の邪魔に最初の内こそ狼狽えていたけど、上目づかいに睨み付けてくるリンの微かに潤んだ瞳と赤く染まった頬、そして何処からか漏れてきた小さな笑い声に、流石の俺も、自分が今「どこ」で「なに」を口走ろうとしていたのかを瞬時に理解した。

「……レンって、やっぱバカでしょ」

 ええ、まったくその通りです。
 低く絞り出すような声に返す言葉も無く、逃げる様に視線を横に逸らす。
 馬鹿を通り越して愚かかもしれない。電車内でイチャイチャしているカップルを眺めながら「あんなの真似できないなぁ」なんて他人事のように考えていたけれど、これじゃあ俺だって一緒じゃないか!
 言葉を飲み込んだ事でリンもようやく手を離したが、よっぽど恥ずかしかったのか、こちらも思い切り視線を逸らしてしまう。爆発寸前の頭の中では「あ、こうやって見ると意外と表情豊かなんだな」とか、「また自爆してゴメン」とか色々な考えがぐるぐると回っているけれど……とりあえず穴があったら入りたい。寧ろここから逃げ出したい……。
 耐え難い状況にうがー! と頭を抱えていると(実際は身動き取れないから、頭の中で、だけど)、抑揚の少ない女性の声が次の停車駅を読み上げた。……ダメだ、多分もう限界。

「……次、降りよう」
「え? まって、降りるのって」
「いいから!」

 速度を落とす列車の中で、戸惑いがちな声を振り切ってドアを睨む。流れる風景が徐々にゆっくりになって、やがて止まる。
 そして電子音と共に扉が開くと同時に、胸の辺りに添えられていた手をぎゅっと掴んで。

「あっ……レン!?」

 目の前に立ちはだかる人の壁をぐいぐい掻き分けると、俺たちは、窮屈なことこの上ない鉄の箱から思い切り飛び出した。


***



 残されたホームの上で、俺もリンも、その場から動くことなく遠ざかっていく列車を眺めていた。

「電車、行っちゃったけど」
「うん……」
「……どうするの? 次の電車、13分後みたいだけど」
「……うん……」

 ほやほやとする思考は、冬風にさらされてもまだ冷える様子がない。
 衝動的に飛び出してはみたものの、これからどうするかなんてのは全くの未定だ。後から来る電車に乗ったっていいのだろうけど、さっきと同じくらい混んでいるかもしれないし、無事終点にたどり着けたとしても、次の乗り換えの時間は? 下手すると、水族館到着はお昼頃になるんじゃないだろうか。
 歯切れの悪い返事をしたきり悶々と考え込んでしまった俺にしびれを切らせたのか、リンはショルダーバッグに空いている方の手を突っ込んで、淡いオレンジ色のメモ帳を取り出した。

「次の電車で終点まで行くと、そこから乗り換えの電車が来るまで20分待ち。時間が微妙だし、先に駅でお昼を食べちゃってもいいと思うの。何かしらお店はあるだろうし……。あとは、ここから別の路線で行くっていう手もあるわ。ちょっと遠回りになるけど、たぶんこっちの方が空いて――――何よ?」

 訝しげに睨まれて、ようやく、自分がアホみたいに口を開けていたことに気付く。
 誘ったのは俺だから、電車の時間とか乗り換えルートは全部俺が調べるつもりだった。希望の待ち合わせ時間を訊いて、そこから一番よさげなルートを絞って――。大まかなスケジュールはメールでも伝えてあるし、リンがわざわざ追加で調べる必要なんかなかったはずだ。……なら、何で俺の調べていないルートがそんなスラスラ飛び出してくるんだ?

「えーと、それ……」
「……気になったから、色々見てたの。それだけ!」

 リンはなぜだかムッと口を尖らせると、照れた様にふいっとそっぽを向いてしまう。

『――誘ってもらったのは嫌じゃな……、嬉しかったし、水族館も随分と行っていないから、楽しみ、にしてた』

 嬉しかったから、楽しみにしていたから、リンも自分で電車を調べてくれていた? だから、こんなにも詳しいのか?
 胸の内側をくすぐられているような感覚に自然と口元が緩む。舞い上がってるのは自分だけだと思ってたけど、そんな事はなかった。リンはリンで今日の予定に胸を膨らませ、自分なりの計画を立ててくれていたんだ。

「で、どうするの?」
「別の路線の方で行こう。時間はまだ沢山あるんだし、お昼も水族館に着いてからゆっくり食べればいいじゃん」
「そう……それじゃあ、4番線に――あ、ちょっ、待って!」
「早く移動しないとこのホームも混んでくるよ!」

 離すのを忘れたふりをしながら、彼女の手を思い切り引く。うしろの方からは何やらごにゃごにゃと抗議するような声が聞こえたけれど、それも聞こえないふり。
 連絡通路を伝って隣のホームへ移ろうとすると、下の方で轟音が鳴った。電車が来たらしい。足元に注意しながら階段を駆け下りた先、目に飛び込んできた車体のナンバープレートに……思わず笑い出しそうになってしまった。
 6号車――キミと出会った列車。キミを探して乗った列車。
 最初はただ遠くから眺めているだけだったリンとの関係も、今ではこんなに近くなった。
 恋もデートも計画通りの一本で進むのが理想だと思っていたから、順調にいかないことに悶々と悩んだりもしたけど、こうやってちょっと途中下車してみたり、違うルートを辿ってみるのもなかなかいいかもしれない。
 扉の内側はさっきの列車と比べると若干空いている。でも、チカチカと瞬くツリーの電飾みたいに浮ついた空気は、ここにも。
 行先のわからない列車に揺られながら、これからの予定を話し合おう。そこで予想外の事が起きたとしても、キミとだったら、楽しい思い出に出来るはずだから。
 リンの手を握る左手に力を込めると、ほんの少しだけ強く握り返される。ホームに流れ出した発車メロディーを背に受けながら、俺たちは6号車へと飛び乗った。


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鏡音誕(遅刻)!

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